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「今日のワン」(40)

  • mizunoseigi
  • 2022年3月24日
  • 読了時間: 2分

2022年3月24日「今日のワン」メッセージ


      「神の指」


「見て分かるように、私には指がない。 

 指がないように私は途方に暮れ、生き 

 る道を見い出せなかった。」

 ハンセン病患者の言葉です。


「指」は「指し」示す役割とその働きがある。「方向性」のこと。指のない両手を見ながら、生きる道を見失った深い闇の中で過ごしてきた心境をこのように表現しているこの言葉に心が痛む。

「方向性」は、「見方」のこと。一つの物事を見ても、それを見ている人によって、それぞれ見方が違う。


目が開かれた「見方」というのは、一点だけを見つめないことだと思う。遠藤周作は開かれた視点を持っていた文学者の一人だと、彼の「善は悪にもなり、悪は善にもなる」という言葉から伺い知ることができる。この見方の方向性には暖かく包むような「神の国」が見えているように思う。「善」ばかりを見ていると悪になり、悪が善になる改善の可能性を妨げる。ウクライナを応援する善人たちの行為が、ロシア人というだけで誹謗中傷をする悪になり変わっていくことに恐れを感じたりする。


イエスさまは誰の目からも「悪」と呼ばれる人たちから殺されたわけではない。それなら、イエスさまは殺されることはなかった。誰の目からも「善」と思われていた人たちからイエスさまは殺されたことを忘れてはいけない。

一点だけを見つめない方がいい。たとえ一生懸命頑張っているにしても、たとえ正しく生きているにしても、見方の方向性がズレていたら意味をなさない。「罪」の語源は「的外れ」から来ている。「見ること」「考えること」にも「見方」や「考え方」があるように「方向性」がある。その視点が開かれているところに神の国があるように思う。


「わたしに味方しないものは・・・」という今日のイエスさまのみ言葉に立ち止まって、果たして自分はイエスさまの「見方」をしているのだろうかと問われるこの時が、恵みの時に感じて感謝の思いでいっぱいになる。神の指は私たちにどこを指しているのか。神の指が動くとき、自分の指もまた、神の国のあたたかさを人々に触れさせるものでありたい。


今日のみことば:「わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。」(ルカ11・20)














 
 
 

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