アンジェラスの鐘2026年2月号
- mizunoseigi
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ルドビコさまは十二さい 主任司祭 藤澤幾義
1. ルドビコさーまーは十二さい 耳をそがれてしばられて
あゆむ1000キロ雪のみち ちさいあしあと血がにじむ
2. ルドビコさーまーがにっこりと 笑って槍を受けたとき
西坂丘の夕映えに ひらりと散った梅の花
この詩は、二月五日に迎える26聖人の中の聖ルドビコを称える永井隆博士の詩です。二十六聖人は1597年2月5日長崎の西坂の丘で日本人20名外国人6名の司祭、修道者、信者が太閤秀吉の命令による殉教によって貴い命を神に捧げ、世界的にも有名な二十六聖殉教者が誕生しました。その中には、三人のうら若い遊び盛りの少年が含まれていたのです。ルドビコ茨木12歳、13歳のアントニオそして15歳のトマス小崎でした。
上記の永井隆博士の詩は、26聖人がたどった殉教への苦しい道中、大変な仕打ちを受けながら歩き続けた姿が思い浮かばされます。京都から長崎までの約1000キロの道のりを一か月以上かけて極寒の中を歩き続けた苦しい、困難な道、それは筆舌に尽くしがたいほどのものだったのです。最初に片耳を切り落とされています。「太閤秀吉は両耳と鼻を切り落とす命令を石田三成がその命令を片耳に減刑したとか。」
片耳を切り落とされ、何の治療も施されないまま血はしたったままだったのです。京都では積雪の中を裸足で歩かされ「小さい足跡血がにじむ」のように、冷たさ寒さに震えながらの道程だったのです。寒さに震えながらの1000キロの道は、大変な殉教の道、キリストのゴルゴタの十字架の道を思い起こしながら歩かれたのではないでしょうか。
二十六聖人にとっては、心を一つに結束して、祈りながら、聖歌を歌いながらの殉教の道は聖霊の恵み豊かな恵み一杯の道でもあったのです。
長崎の刑場に着いた時、ルドビコ茨木は役人に、役人様、私の十字架はどれでしょうか、と尋ねたのです。役人が、あそこに立っている十字架の中で一番小さいのを指さし、あの一番小さいのがお前の十字架だ、と言われたとき、ルドビコは走って行ってその十字架をしっかり抱きしめと言われます。苦しいこれまでの一か月間の殉教の道、これまでの十字架の道から解放されて最愛の神のもとに行ける、永遠の幸せにあずかることが出来るとの思いで、自分の十字架をしっかりと抱いたのではないでしょうか。この殉教の道の間、食べ盛りの子供にとって、おいしいものを腹いい食べることも出来なった。暖かい寝床でゆっくり休むことも出来なかった。これからは神様の前で最高の幸せを、天国の幸せに与ることが出来ると確信したのではないでしょうか。
そして、詩の二番の通りー「ルドビコさーまが にっこりと 笑って槍を受けて時、 西坂丘の夕映えに ひらりと散った梅の花」のように清い純潔な魂は天に召されて
天国での誕生となったのです。“何と清い素晴らしい日本二十六聖殉教者の天国への凱旋の旅路だったのでのでしょう。”
二十六聖殉教者私たちのためにお祈りください



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