アンジェラスの鐘2026年4月号
- 3 日前
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主任司祭 藤澤幾義
“主はおことば通り復活されました
アレルヤ”
笠利小教区の信者の皆様主のご復活おめでとうございます。
主のご復活は、私たち信者にとって最大で最高の祭日です。灰の水曜日から始まった日曜日を除いたご受難の主日までの四十日間の四旬節を節制と犠牲の日々を過ごしながらの復活祭までの準備の期間を過ごして迎えた復活祭です。四旬節中の日曜日には十字架の道行きを行い、私たち人間の為に命を懸けて救いの業を全うされたイエスの愛の業を黙想し、また黙想会並びに共同回心式を行い身も心も改心して今日の復活祭を迎ることが出来ました。私たちは人祖の罪以来、悪への傾きの強い人間に変えられてしまいました。日本の諺にも「小人閑居して不善をなす」とある通り、人間が暇でいると悪いことをしてしまうというのが大方の人間の姿ではないでしょうか。でも、笠利教会の信者の中にはボランチア精神による奉仕作業の姿が見られたのは、イエス様のことば「自分がしてほしいことを他のひとにもしなさい」とのことばを実行に移している姿であり、聖霊の導きに従っている信者の模範的な姿を見ることが出来た四旬節の期間でもありました。
そのような姿は赤木名教会の周りの木の伐採とその廃棄などの作業に示され、私は教会の責任者としてその有難さに心から感謝しそのような信者が笠利教会にいることを私は誇りに思っているところです。関係された信者の方に心から感謝を述べさせていただくと同時に本当にご苦労様でした、と申し述べさせて頂きます。また、四旬節の過ごしかたは、祈りと犠牲、奉仕とか愛の献金などはイエス様が本当に喜ばれる業として大事にされています。そのような心で四旬節を過ごしてこられた信者の方もたくさんおられるのではないでしょうか。
それにしてもイエス様は、どうして十字架の道を救いの業とされたのでしょうか。他の方法はなかったのでしょうか。これは神様がお望みになった人間にとって最高の愛の表れだったと思うべきではないでしょうか。聖トマス・アクィナスは、全能の神はイエス様の御血の一滴でもって人類贖いの業を行うことが出来たのに全身全霊を投げうつ命をかけた業そのものだったと言っています。人間はそれ程価値あるものでもなかったに神の愛の業は、最大で最高のものだったのです。その神のいつくしみについて、紀元前7世紀に書かれた「イザヤ予言書」に「女が自分の乳飲み子を忘れることがあるだろうか、たとえ女が自分のお腹を痛めた乳飲み子を忘れることがあったとしても、わたしはあなたをわすれない」(イザヤ45,19)。と記されていることばは命を懸けて人類贖いを成し遂げた神の子イエス様によって実現することになったのです。みなさん、神のいつくしみ深い愛を私たちはイエス様のご受難ご死去そして三日目に復活されたこの復活の神秘の中にその神のいつくしみを感じ取ることのできる信仰でありますように!!




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