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「今日のワン」(184)

  • mizunoseigi
  • 2023年6月25日
  • 読了時間: 6分

2023年6月25日「今日のワン」メッセージ

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年間第12主日説教「だから、恐れるな」

3月に司祭叙階を受けた外山神父様が初ミサを捧げるために、昨日から奄美に来られています。7月3日まで奄美に滞在する予定で、今週の主日から各教会で初ミサを予定しており、来週の土曜日の7月1日の赤木名のミサは、外山神父様が初ミサを捧げてくれますので、どうぞ初ミサに参加して新司祭からの祝福をいただいてください。翌7月2日(日)は他の教会での予定がすでに入っているということなので、大笠利教会では残念ながらミサを捧げることはできないとのことでした。ですので、赤木名のみでの初ミサですので、ミサ後にお祝いの気持ちを込めて新司祭を囲んで茶話会の時間を準備してくださると嬉しいです。宜しくお願いします。

さて、今日のイエスさまの福音箇所は、先週の福音に続いて、イエスさまが12人の弟子たちを選び、宣教へと派遣するにあたって、弟子たちに迫害の予告をされ、その中での弟子としての心構えと励ましのメッセージの言葉を送られた箇所です。「わたしはあなたがたを遣わす。それは狼の群れに羊を送り込むようなものだ」と、派遣する弟子たちにこれからのあなたたちの宣教の歩みには迫害があることを、イエスさまは予告されました。この社会で福音を伝える者は「迫害を受ける」と、イエスさまは言っています。イエスさまはそのように言われましたが、でも実際は私たちにはあまりピンと来ないのではないでしょうか。それは過去の話で信教の自由が許されていなかった殉教者の時代、あるいは戦前に島でも教会信者が迫害を受けた経験を持った人はいると思いますが、今では「迫害」と言われても、実感として湧かないのが実際だろうと思います。

しかし、今日の福音のイエスさまの言葉がただ過去のことではなく、今を生きている私たちにも語りかけている言葉として受け止める時、キリスト者である今の自分にとって、あるいは私たちにとってイエスさまが言われるこの「迫害」とは果たして何を意味するのか、自分自身に問いかけて、考えてみはどうでしょうか。

イエスさまは、その弟子たち、つまり私たちに、今日の福音で「人々を恐れるな」と励ましています。この「人々」というのは、明らかに迫害をする人々のことを指していますが、言い換えればキリスト教的価値観に基づく生き方を受け入れない、それに反対する人々や社会のことを指しているといっていいと思います。この社会にあって、イエスさまが示された価値観と相反する生き方が及ぼしている影響を私たちも受けていて、目に見える問題としてそれらを抱えていきています。昨日、6月23日は沖縄戦没者の慰霊の日で、今年も追悼式典が行われ、平和の祈りが捧げられました。そして、来週の7月1日は長崎で列福式が行われた188人の福者殉教者の記念日にもなっていますが、あの長崎での列福式の時に、今はもう亡くなられましたが、当時東京の大司教であった白柳枢機卿さんが説教の中で、次のような力強い励ましのメッセージを送られたことが記憶として残っています。「殉教者は呼びかけています。毎年3万人以上の自殺者が出る日本の社会に呼びかけています。生きるとはどういうことか、死ぬとはどういうことか、人間は何のために生きるのか、人生の目的、意義とは何か、苦しみに意味があるのか、などの人生の根本問題について深く考えるよう求めています。信仰の自由を否定され、殺された殉教者は叫んでいます。神の似姿に創られた人間の尊厳性、また人間が持つ固有の精神的能力、考え、判断し表現する自由などの重要性、それに反するあらゆることを避けることを強く訴えています。なかでも人間の生きる権利が胎児のときから死にいたるまで大切にされること。武器の製造、売買、それを使っての殺人行為である戦争。極度の貧富の差により非人間的生活を余儀なくされている者たちへの配慮など、すべての人が大切にされ、尊敬され、人間らしくいきられる世界となるよう祈り、活動することを求めているに違いありません。さあ、皆さん、怖れずに歩み、一緒になって進みましょう。怖れるな、怖れるなと神様がそして殉教者が呼びかけています。皆さん怖れるな。」

このように、白柳司教さんが日本のすべてのキリスト者に向けて、そして社会に向けて力強いメッセージを送られたことは、今日の福音で宣教へと派遣する弟子たちに対して同じように励まされたイエスさまの言葉と重なる思いがします。

命を脅かし、傷つける社会の風潮や行為に対しては、しっかりと「NO!」と意思表示をする生き方、態度を示して、イエスさまがその生き方を通して示された神の国の温かい交わりをもたらす者として歩んでいくようにという励ましのメッセージです。そのことを伝えるために、イエスさまは弟子たちに「人々を恐れるな。覆われているもので現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい」と、人々からの目には覆われている、隠されている神の国の福音を人々に伝え、言い広めなさいと、弟子たちに伝えています。しかし、その神の国の福音を伝える使命を受けている私たち自身も、この社会が抱えている問題の現実を見るときに、弱さゆえに妥協し、同調し、あるいは無関心、利害に基づく加害者または傍観者として生きている姿があることを素直に認め、顧みる必要があります。自分には害が及ばない生き方、見て見ぬふりをする生き方を選ぶ時もあります。「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う」と、イエスさまは言われています。しかし、そのイエスさまの事を「知らない」と言ったあの

ペトロの弱さと過ちを受け止めて、死んでくださった、そのイエスさまの愛と赦しによって私たちも生かされています。その自分の弱さを知って涙したペトロをイエスさまは再び立ち上がらせ、新たに福音を伝える者として遣わされるのです。

今日のパウロの言葉にも、「一人の人アダムの罪がすべての人に及んだのと同じように、一人の人イエス・キリストの恵みは多くの人に及んだのです」と記されています。

そのイエスさまの愛に信頼して、力づけられて、私たちもまた「平和を実現する人々は幸いである」と言われたイエスさまから受け継いだ使命に応えて、恐れることなく神の国の福音を証ししていくことができますように、神様の祝福を祈り求めたいと思います。

※追記:大笠利教会での外山神父様の初ミサは、6月29日(木)の平日ミサ午後7時から行なうことになりました。よって、朝のミサはありません。








 
 
 

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