2022年9月18日「今日のワン」メッセージ
「洗って使えば食えるでしょ」

昨晩から雨風が強まり、最強クラスと言われる台風14号が奄美に最接近。昨夜はそれほど影響を感じることなく、就寝。今朝、目覚めるといつものように部屋の灯りがつき、珍しく停電もなく安堵した。これからの吹き返しが心配されるが、大きな被害が出ないことを祈りながら、台風が過ぎ去るのを待つしかない。
さて、今日の主日の福音箇所は「不正な管理人のたとえ(ルカ16・1-13)」。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった」と、物語は始まっている。その不正が主人の耳に入り、主人から解雇されてしまうと考えたこの管理人は、解雇されても生活していくことができるようにと、主人に借りがある人の借金を勝手に減額し、恩を売って自分を家に迎えてくれる友達をつくったというお話。「なかなかお主も、悪よのぅ~」みたいなお話。「主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方を褒め(ルカ16・8)」、この管理人のように「不正にまみれた富で友達を作りなさい(ルカ16・9)」という勧めの言葉まで付いている。このたとえを用いたイエスさまの真意はどこにあるのだろうか。台風で司祭館にひきこもりながら、おかげでゆっくり食事をつくる時間が持てたりするが、料理をしていたら食材を床に落としてしまうことがある。大抵のものは、落ちても洗えば食べれる。表面が腐りかけて黒ずんだキャベツでも一枚剥げば食べれるし、曲がったナスも小さいピーマンも切ってしまえば、どんな形であろうと味に変わりない。今日のたとえ話も、洗えば使える話、正しくないけど見方を変えれば役に立つ話のようだ。この管理人の偉いところは、主人のものを惜しみなく大いに活かして、それによって困っている人たちの為に役立てているというところだろうか。洗って使えば、この不正な管理人の生き方が「もう一人の管理人」であるイエスさまの姿のように見えてくる。今日のみことば:「この方はすべての人の贖いとしてご自身を捧げられました」(一テモテ2・6)
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