2023年5月9日「今日のワン」メッセージ
「タラソ」

先日、奄美新聞の記事に名瀬の大浜海岸にある健康体験交流施設の「タラソ奄美の竜宮」が6月から無期限で休館となる、という記事が掲載されていました。あの施設の経営者は東京に本社を置く会社で2006年にオープンされていたということなので、それから17年間にわたってこれまで営業してきたわけです。しかし慢性的な赤字経営が続いていたようで、そこにさらにコロナの影響も重なり、休業という経緯に至ったようです。よくあの施設の送迎バスを名瀬の街中で、また住用や古仁屋でも見かけることがあり、こんな遠いところまで送迎バスを出しているんだなと、少し驚いたこともありましたが、今になってみれば、それだけ経営難の状況の中、利用客を集めようと必死に走り廻っていたんだなと、今回の記事を読みながら感じたことでした。
ところで、この施設の名称にある「タラソ」という言葉が、今日の福音箇所(ヨハネ14・1-12)にも使われています。今日のヨハネの福音箇所は、イエスさまの「告別説教」と言われる箇所で、イエスさまが捕らえられる前に弟子たちとの最後の晩餐の席上でお話をされた場面の一つです。この箇所でイエスさまは弟子たちに「心を騒がせるな」と言われました。この言葉の「騒ぐ」と訳されたギリシャ語が「タラソ」です。「タラソ」には「騒ぐ」とか「かき乱される」「動揺する」という意味があります。この「タラソ」は本来、「海」や「海水」を指す意味から来ていて、「タラソテラピー」という言葉もあるように、海の自然の治癒力を使った健康療法を指す用語としても使われています。また、海の「潮が騒ぐ」と書いて「潮騒」という言葉もギリシャ語に翻訳すると「タラソ」という言葉が用いられています。今日のヨハネの福音書では、この「タラソ」という言葉が人間の不安や恐れを抱いた時の心の状態、感情を表す言葉として用いられています。
イエスさまが弟子たちに向かって「心を騒がせるな」と言われたということは、このことからも分かるように、この時、ペトロを含む、弟子たちはイエスさまが自分たちのもとからいなくなることを感じ始めて、「この先どうなるのだろうか」と、ただならぬ不安を感じていたはずです。今日の箇所の直前の箇所を読むと、そのことがよく分かります。
イエスさまがペトロに向かって、「わたしの行くところに、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる(ヨハネ13・36b)」と言われて、その後、イエスさまがペトロの裏切りを宣告した(ヨハネ13・38)直後に続くのが、今日の箇所です。弟子たちの心が騒ぐのも無理ありません。その不安に駆られ、動揺している弟子たちの心を察して、イエスさまは「騒ぐな」と言われます。
先ほどの「タラソ」の施設を経営していた会社の人たちが経営不振の中で、またコロナという災禍に見舞われた状況にあって、きっとこの人たちもまた不安な日々を送っていたでしょう。私たちもさまざまな出来事や問題にぶつかることで、この先どうなるのか、先行きが見えず、見通しがつかない状況に置かれると、不安や恐れを抱き、「心がかき乱され、動揺し」、道に迷い、悩む日々を過ごすときがあります。そのような時に、親身になって関わり、支え、共に歩んでくれる存在との関わりがあることは大きな慰めと励ましになり、弱気になっていた自分を立ち上がらせてくれます。
そのように弟子たちの不安な心に寄り添って、イエスさまは「心を騒がせるな。神を信じなさい、またわたしをも信じなさい」と言われ、励まし、力づけるのです。
この「騒ぐ」という意味の「タラソ」という言葉は、他の箇所のヨハネ11章33節、12章27節、13章21節においても使われています。そこでは、イエスさまの感情を表す言葉として、「興奮する」という意味に訳されて「タラソ」という言葉が使われています。「奮い立たせて」という意味にもなります。この場合は、不安や恐れから来る騒ぐ心というよりも、何かによって力づけられて心を「奮い立たせて」困難に立ち向かっていく人間の心を表わしています。だから、この「タラソ」には「騒ぐ」「動揺する」という意味と「興奮する」「奮い立たせる」という二つの感情を表す意味合いを持っています。
イエスさまも私たちと同様に、弱さを持った人間でした。だから、十字架につけられることを感じ取っていたイエスさまも心が騒いだのです。しかし、イエスさまはその困難を前にして、父である神様の愛と信頼のうちに、その騒ぐ心を静めて、自らの心を「奮い立たせ」、十字架の道を進んで歩まれ、私たちに復活の命をもたらしてくださったわけです。
イエスさまは、不安と恐れから来る私たちの「騒ぐ心」を落ち着かせ、神様への信頼によって私たちを奮い立たせることができる方です。「信じなさい」と、力強く語りかけてくれるイエスさまです。今日は、「タラソ」という御言葉を味わいながら、私たちの心が不安と恐れに駆られる時、神様への愛と信頼によって励まされ、力づけられて、日々奮い立たせられて歩んでいくことができますように、このミサの中で祈りたいと思います。(「復活節第5主日の説教」より掲載)
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