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「今日のワン」(187)

2023年7月17日「今日のワン」メッセージ





年間第15主日説教「どれも良い土地だから」

今日の福音は、イエスさまの「種蒔きのたとえ話」です。種が蒔かれ、いろいろな場所に落ちます。道端、石地、茨の中に落ちた種はどれも実を結びませんでした。しかし、ある種は「良い土地」に落ち、実を結んだというお話です。種が蒔かれた人間の側に焦点をあてたイエスさまのたとえ話です。このたとえ話の後に、種が蒔かれたそれぞれの土地について説明が記されています。道端な者とはこういう人、石地の者、茨の中の者とはこういう人、そのように解き明かしがされています。この説明を読みながら、どれも経験として思い当たる自分がいました。皆さんはどうでしょうか。そう考えたら、いっそうこの「良い土地」とはいったいどのような土地なのだろうか、と考えさせられました。そのことを考えながら、また最初から読みながら味わっていると、一つの言葉が目に留まりました。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されている」という言葉です。「天の国の秘密を悟ることが許されている」とは面白い表現だなと思います。「秘密」ですから、目に見えているものからは隠されていて、その隠されたものを見ようとする心が許されているということです。

この前、芸能人のビートたけしの記事を見ました。芸能界で漫才師として、お笑いタレントとして活躍し、その後、映画監督としてもその才能を発揮し、今では「世界のたけし」と呼ばれるほどに活躍している彼ですが、芸能界で超売れっ子になった頃、彼のもとにしばしばお金をせびってくる人がいたそうです。それは、実の母親でした。その要求する金額が20万、30万という金額で、「温泉に行くから金をくれ」「病院に行くから金をくれ」「水道の修理代をくれ」「孫にプレゼントするから金をくれ」「今まで育ててやったんだから金をくれ」と、会いに来るたびにたけしにお金を要求したそうです。教育熱心で優しかった頃の母の変わり果てた姿に、たけしは「強欲なババアだなあ」と思い、悪態をつくことがありながらも、母親にお金を渡していたそうです。また、ある時はたけしが当時交際していた女性との関係で「フライデーの週刊誌」の関係者から強引な取材訪問を受けた際、そのマスコミ関係者が女性に対してけがを負わせたことにたけしは激怒して、仲間を連れてその出版社へ殴り込み、襲撃したという事件がありました。その事件が大きくテレビで報道され、多くのマスコミ関係者がたけしの実家の母親のもとにも駆け付け、母親にインタビューした際には、「あんなどうしようもないやつは、死刑にでもしてください」と一喝し、マスコミを呆然とさせた母親でした。その言葉を後で聞いたたけしは母親に電話し、怒りを露わにすることもありました。そんな母親も病気には勝てず、ある日入院することになり、仕事の合間を縫って見舞いに行けば、「お前は、葬式の焼香だけに来ればそれでいい」と憎まれ口をたたかれる始末で、92歳になってもまだまだ元気なババアだと思いながら、病院を後にしようとした時、その帰り際にお姉さんから一つの紙袋の包みを渡されたそうです。その紙袋は母親からたけしに渡すようにと頼まれたものでした。その紙袋の中を見てみると、印鑑と通帳が入っていました。その通帳の名義にはたけしの名前が記されていて、中身を見ると1000万もの金額が入った預金通帳でした。そのお金は、母親がたけしからこれまで取り上げてきたお金と自分の年金から少しずつ加えてきたお金で、息子からのお金には一切手をつけず、これまで積み立てて来たお金でした。芸人というのは人気が無くなれば無職同然になってしまう商売で、そんな不安定な仕事をしている息子のため、失敗しても大丈夫なように母親は貯金してくれていたのです。芸人はいつ収入がゼロになってもおかしくない職業にもかかわらず、たけしはお金が入れば、金遣いが荒く全部使ってしまうというのがその理由だったようです。フライデーの取材を受けた時「こんなどうしようもないやつは、死刑にでもしてください」と取材陣に応えたのも、そう答えなければ治まりが利かなくなるという息子への思いからであって、お見舞いに来ても憎まれ口を叩いたのも、仕事で忙しい息子に迷惑をかけたくないという思いからのことでした。この時、たけしはこれまで憎まれ口を叩き、お金ばっかりせびって来ると思っていた母親の本当の思いを知り、この包みを握りしめ、涙が止まらなかったといいます。

私たちも毎日、あるいは毎週、このようにして教会に集まり、イエスさまの言葉を聞いています。そのイエスさまの言葉の受け止め方や感じ方も、その日、その時の自分の状態や状況によって様々だと思います。ある時は「そうなの?」と思いながら、ある時は「信じられない」、ある時は「難しくてよくわかんない」と思ったり、またある時は「そのとおり」と感じたり、ある時は「そんなの私には無理」と感じたり、ある時は「厳しい言葉だな」って感じたりすることがあります。それでも、様々な出来事や体験をしていく中で、「そういうことだったんだ~」と目からウロコが落ちたような感動を憶えたり、イエスさまの聞き慣れた言葉が以前とは違った形で自分の心の中で味わい深く染みてくることもあります。これは、わたしたちが「良い土地」として天の国の秘密を悟る心が与えられているからです。今日のイエスさまの「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されている」という言葉は、私たちへの励ましの言葉です。これからもイエスさまのみ言葉に隠された神様の思いを求め続けて、その神様の思いが私たちの中で成長して実を結んでいくことができるように、その恵みを祈り求めたいと思います。








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