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「今日のワン」(183)

2023年6月15日「今日のワン」メッセージ

 「雨ニモマケズ」

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は、今も多くの人を励まし、勇気づけ、心に寄り添ってくる詩です。賢治には幼い時から毎晩寝る前に母親のイチから聞かされてきた母の教えというものがありました。「人というものは、人に何かをするために生まれて来たのだよ」という言葉です。この母の教えが賢治の「利他の心」を生きる価値観を築き上げていきました。「自分は人のために何ができるだろうか」「本当の幸せな生き方は何だろうか」と考え、自らに問い続けて生涯を送った彼の遺した多くの作品は、「他者のために生きる」というテーマで一貫しています。その彼の詩に感銘を受けた一人である教皇フランシスコは、教皇に選出される2年前、2011年に起きた東日本大震災の犠牲者の追悼と復興のためにミサを捧げた際、ミサの最後に「雨ニモマケズ」を朗読したと言われています。東北出身である宮沢賢治の生き方が込められたこの詩を通して、震災に見舞われた東北の人々の心と一つとなり、寄り添っていることを伝えたかったのでしょう。その教皇様が2019年に来日された際、東京カテドラルでの「青年の集い」において、これからの未来を生きる若者に対して贈られたメッセージもまた、宮沢賢治の生き方を彷彿とさせるものでした。「生きていくうえで、もっとも重要なことは、何を手にしたか、これから何を手にできるかという点にあるのではなく、それをだれと共有するのか、という問いの中にあるということを知ることです。何のために生きているのかに焦点を当てて考えるのは、それほど大切ではありません。問題は、だれのために生きているのかということです。だれのために生きているのか。だれと一緒にいのちを分かち合うことができるのか。この質問を繰り返すことができるように、常に準備しておいたほうがいいと思います。わたしはだれのためにあるのか。あなたが存在しているのは神のためで、それは間違いありません。ですが神はあなたに、他者のためにも存在してほしいと望んでおられます。神はあなたの中に、たくさんの性質、好み、たまもの、カリスマを置かれましたが、それらはあなたのためというよりも、他者のためなのです。いのちを生きるだけではなくて、いのちを分かち合うことです。そして、これこそが、あなたがたがこの世界に差し出すことのできる、すばらしいものなのです。」

この生き方は、今日の福音箇所(ヨハネ6・51-58)にあるイエスさまの言葉に込められた生き方をよく表しています。「わたしは天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである」。自らの命を食べ物として私たちのために差し出して、「取って食べなさい」と、ご自分の命をあの十字架上に捧げられたイエスさまの言葉です。このイエスさまの他者のために生きる愛によって生かされ、一つになり、その交わりを生きる関わりにこそ永遠の命があることを今日のみ言葉は伝えています。今日の一日を振り返ってみたとき、皆さんも誰かのために生きた一日だったと思います。そして、誰かによって生かされた一日でもあったと思います。「食べる者」から「食べられる者へ」と、お互いが他者のための命を生きることによって、今日も私たちの命がつながり、生かされていることに感謝しながら、ご聖体のうちにおられるイエスさまの思いを感謝のうちに深く味わいたいと思います。(「キリストの聖体」祭日の説教より)



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