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「今日のワン」(155)

2022年11月29日「今日のワン」メッセージ

「神様にもマスク?」

ツイッターを買収したイーロン・マスク氏が、法律違反や悪質な行為がない記録については、凍結されていたツィッターを復活させるというニュースが先日報道されていた。フォロワー投票で70%近くの多くの人が賛成の声を挙げたことによるもの。数日前には、昨年のアメリカ州議会襲撃事件以来、これまで凍結されていたトランプ氏のツィッターのアカウントを復活させると、言及したマスク氏。これもまた、フォロワー投票の結果を受けてのもの。そして、そのマスク氏は「民の声は神の声だ」と発言。この発言を巡り、意を同じくする「天声人語」という名のコラムを自ら連載する某社も、この件を取り上げ、少数派の声も取り残されるものであってはならないとの批評だけにとどめている。これに対し、またある法律家は立場の視点から、一歩踏み込んでマスク氏の発言の問題の本質は基本的人権を定めている憲法の欠落にあって、憲法は多数少数の声に左右されず、人権の立場から平等に判断するもので、それがベースにあるべきだと批評していた。とは言え、そこには両者の立場からの限界を伺い知ることができる。

本来、日本における憲法の歴史の成り立ちを見ても分かるように、安定した国づくりのために宗教を取り入れたのがそもそも憲法の始まり。国の安定の為には宗教が欠かせない。神(仏)の道を欠いた「人間が神となる」その声の道行く先に何が待っているかはこれまでの歴史が証明している。このことは「宗教」の傘のもとにいる人間たちも心して置かなければならない。人間が神となった宗教が分断と痛みをもたらし、今も社会問題となっているように、神の名を乱用し、神を畏れず、神をも支配しようとする、まるで根無し草のような、飼い主のいない羊のような群衆の声が、平和をもたらす神の声と言えるだろうか。傲らないように気を付けたい。「宗教(religion)」の語源は、「神と人、人と人を再び結びつける」ことに由来しているが、そのために「神が人となった」クリスマスがもうすぐやって来る。神様にもマスクをかけたクリスマスとならないように。今日のみことば:「その日、エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その彼の上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊に満たされる。彼は主を畏れ敬う霊に満たされる(イザヤ11・1-3a)。」




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