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「今日のワン」(122)

2022年8月28日「今日のワン」メッセージ

   「天の国の招き」

今日の福音箇所(ルカ14・7-11)。

イエスは、招待を受けた客が上席を選

ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。「婚宴に招待されたら、上席

に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、あなたやその人を招いた人が来て、『この方

に席を譲ってください』と言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。招待を受け

たら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

「婚宴」や「宴会」は天の国を象徴していることから、今日の福音は「天の国の招き」について語られている。天の国に招かれている者とは、へりくだる者であることが示されている。「謙遜さ」のこと。謙遜さとは何だろうか。ラテン語で「謙遜(へりくだり)」のことを「HUMUS(フムス)」と言う。これは、「土」「土壌」「大地」の意味から由来している。アシジのフランシスコは、この「謙遜(へりくだり)」をこよなく愛した。フランシスコの精神を謳った「太陽の賛歌」に、「わたしたちの姉妹である、母なる大地によって、あなた(神)を賛美します。大地は、草や木を育て、実らせます」とある。大地は、すべてものを吸収し、そこから良いもの生み出し、周りにあるものを生かし、支えている。またフランシスコは、「無学な」「無力な」という言葉もこよなく愛し、そのような「小さき者」として生きた。ここで言う「無学な」とは、「何も自分のものとしない」という意味がある。すべては神から与えられたもので、それを自分のものとせず、周りにあるものを生かすために捧げる生き方を示している。つまり、大地のように「仕える」生き方。その謙遜な生き方を兄弟たちに求めるフランシスコは、学問を学んで高慢になるくらいなら、学問を学ばないほうが良いと厳しく戒める。高慢さは、「何もかも自分のものにする」自分を誇る心の態度

から生まれるから。フランシスコが愛した「謙遜さ」は、何も自分のものとせず、神から与えられた命を、すべてのものを生かすために捧げた十字架のイエスさまの生き方に結ばれている。「謙遜さ(へりくだり)」を思うとき、「大地」を思い出したい。人間は、「土」から造られたものだから。「私の主よ、あなたは称えられますように。私たちの姉妹である母なる大地のために。大地は、私たちを養い、治め、さまざまの実と色とりどりの草花を生み出します。」












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