2022年6月10日「今日のワン」メッセージ
「あなたの前にいる」

神様はどこにいるのか?
神様がいるのなら、どうしてこんな出来事があるのか?そういう問いを誰もが抱くことがある。勝利、成功、合格、健康、順調、平和、、、。良い出来事を体験すると、神様が共にいることを感じられてその喜びを味わう。悲しみ、苦しみ、病気、失敗、挫折、争い、災難、、、言わば悪い出来事を体験すると、神様が消えて、見えなくなる。神様はどこにいるのかと、不安や恐れ、失望を味わうこともある。出来事によって、神様が見えたり、消えたり、感謝が生まれたり、消えたり、喜んだり、悲しんだりと一喜一憂するのが人間。出来事によって左右される神様の存在。「神様はどこにいるのか?」
教会に来る人たちも、その日、その日によって置かれた状況は様々。何か良いことがあって喜びを抱いている人もいれば、何か不運な出来事にあって不調や悲しみや不安のうちにいる人もいる。しかし、いつも御言葉は語ら
れる。御言葉のうちにおられる神様は、出来事や状況に左右されることなく、いつも私たちに静かに語りかけている。神様は良い出来事の中にも、不幸な出来事の中にもいない。神様はいつも「あなたの前にいる」。「あなたと共にいる」とは、そういうこと。神の前に立つということは、そういうこと。神の前に立つ祈りは自分を見失わないためにある。この祈りが、神様を見失いやすい自分に希望を与え、勇気を与え、元気づけ、立ち上がらせる。
神様は、希望を失いかけ、洞穴に隠れ身を潜めていたエリヤに語りかける。「その洞穴から出て、主の前に立ちなさい」(列王記上19・11a)と。この神様の言葉が、洞穴のような光を閉ざしたエリヤの心の闇に希望の光を与え、元気づけた。神はどこにおられるのか? わたしはあなたの前に立っていると、神様は静かにささやきかけている。
今日のみことば:「主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。」(列王記上19・11-12)
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