2022年5月29日「今日のワン」メッセージ
「北緯27度線」

コロナ禍のサラリーマン川柳2022が
発表されていた。
「巣ごもりで MからLに 服反応」
自分も成長したなぁ~。コロナ禍になって始めた朝の散歩も、あれから2年も経つのに、、、おなかが。梅雨時期はなかなか散歩に行けない日が多くなる。「自粛中 まだ見ぬ孫が もう歩く」。まだ見ぬ初孫もそうだけど、会いたくても会えなかったコロナ禍の規制が緩和されて、久しぶりの孫の成長した姿を見て驚いたジィ―やバァーもきっとたくさんいるだろう。また知人や友人の間でも久しぶりの再会を喜んでいる人たちもいる。
会いたくても会えない時を過ごし、会いたい時に会えるようになった日常を取り戻しつつある今、「北緯27度線」のことを思った。かつて奄美(諸島)と沖縄の間に敷かれた海の上の見えない国境線。沖縄に住む奄美のシマンチュと奄美に住むその家族たちとの間に厚い海の壁となった北緯27度線が解かれて50年となる今年。その沖縄の本土復帰を後押したのが、奄美のシマンチュたちの海上交流の運動だった。一足先に本土復帰を果たした奄美は、取り残された沖縄を忘れることはできなかった。1964年から69年にかけて、沖縄に住む家族や親戚と切り離された奄美の人たちは数隻の漁船に乗り合い、北緯27度線の海上で沖縄に住む家族たちが乗った漁船と向かい合い、「沖縄返還の声」を挙げつづけた。互いに近くて遠
い島を眺めながら、家族のことを思い続けたことだろう。そして、自由に行き来する念願の再会を果たした喜びはどれほど大きかったことだろう。
沖縄が本土復帰した年に生まれ、「復帰っ子」として平和交流活動を行っている前泊美紀さんは言う。「奄美の人たちが手を差し伸べてくれたから、本土復帰を果たすことできた」と。沖縄の苦しみに寄り添えるのは、共に日本から切り離された痛みを知っている奄美の人たちだと思う。今年は、それから70年でもある。奄美にルーツをもつ沖縄のシマンチュは言う。「見えない国境線はいらない」と。コロナという見えない境界線も早く終息してくれることを願う。
今日のみことば:「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。 わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16・33)
奄美本土復帰の1953年のクリスマスプレゼント。
その喜びの一方で取り残された沖縄、そして
沖縄に住む奄美出身者たちとの間には、「北緯
27度線」という見えない海の境界線によって
交流が断たれてしまった日でもある。
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