top of page

「今日のワン」(68)

2022年4月22日「今日のワン」メッセージ


     「生活の記憶」

亡くなった人と出会う方法は、「思い出す」ことによってその人が自分の中で姿を現わす。生活の中で、何かの場面で、何かの機会に、故人とのかつて共に生活していた時の思い出が蘇り、「そういえば、こういうことがあった」「そういえば、こういうことを言ってたな~」とか、そういう時間と空間を超えた生活の記憶によって故人との再会を果たし、自分の中でその人が共にいることを感じながら、今も共に生きていることを実感することができる。


復活したイエスさまが弟子たちに現れるエピソードもそのことを物語っている。復活したイエスさまが現れても、それがイエスだと気づかない弟子たち。その弟子たちに、「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば魚が捕れるはずだ」と、再び漁に出るように促すイエスさま。すると、大漁の恵みに与り、驚く弟子たち。そのとき、弟子の一人が「主だ!」と叫ぶ。イエスさまは漁に出ている間に、朝の食事の準備をして弟子たちの帰りを待つ。炭火をおこし、そして弟子たちが捕ってきた魚をその上にのせ、パンも用意して、弟子たちとの朝食を共にする。


復活したイエスさまとの出会いという非日常の特別な出来事が、生活感のある日常に包まれた出来事へと流れていく様に、とてもほのぼのとした感情が湧いてくる。そのかつてのイエスさまとの生活の記憶を追体験した弟子たちは、もうだれも「あなたはどなたですか?」と問いただす者はおらず、主であることを知っていたからであると、記されている。


だから、信仰は日常を超えたものでありながらも、日常に包まれたものだと、復活したイエスさまとの出会いのエピソードは私たちに伝えている。復活したイエスさまが今も私たちの生活の中で生きておられるように、私たちの故人もまた今を共に生きている。


今日のみことば:「イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう

三度目である。」(ヨハネ21・14)











Comments


大笠利教会 奄美市 笠利町 笠利 Tel: 0997-63-8108

© 2022 カトリック大笠利教会 Catholic Okasari Church 

bottom of page