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「今日のワン」(62)

2022年4月15日「今日のワン」メッセージ


     「和して同ぜず」

今では死語になったが、当時は流行語にもノミネートされたルー大柴の「トゥギャザーしようぜ」という名セリフが一躍有名になった時期があった。トイレに行くにも、食事に行くにもこのキャッチフレーズが若年層の間で流行ったことがある。しかし、今ではコロナ禍にあって生活様式は一変し、物理的に「トゥギャザー」できない「ホームステイ」の世界になった。それでも新たなつながりの在り方を求め、SNS技術を駆使した動画配信(ライブ)サービスアプリでホームステイしながらの「個」のつながりを築き、またそれらで小遣い稼ぎや収入源とする社会的ネットワークが若者の間ではバズっている。これからは、個にあって新しい技術の力を借りて「トゥギャザー」する社会へと変わっていくことだろう。


ところで、スペインの思想家であるオルテガ(1883-1955)は著作「大衆の反逆」の中で、「トゥギャザー アンド アローン」という言葉を遺している。論語の「和して同ぜず」と同じ意味が込められている。一緒にいながらも、自分を見失ってはいけないと諭す大衆批判の言葉として知られている。教皇が言われるように私たちは良くも悪くも互いに頼り合って生きている。そのトゥギャザーは悪を生みだす結束力にもなりうることは過去の歴史が証明している。オルテガは「みんな同じ」という大衆社会における問題を、当時のヨーロッパ世界の動向からすでに鋭い洞察力をもって指摘していた。それがイタリアのムッソリーニ、ナチスのヒトラーによるファシズムの台頭だった。ムッソリーニやヒトラーといった個人主義に基づく「解放」という名の侵略に賛同する一部の人間が社会の中枢となって公権力を手にすれば、それは大衆の反逆となって病んだトゥギャザーを生み出す。ヒトラーはキリスト教圏にある大衆を扇動するために、「キリストを殺害したユダヤ人の責任はその子孫にまで及ぶ」という聖書の言葉を濫用し、ホロコーストを及ぼした。「みんな同じ」に違和感や痛みを覚えず、快感すら覚える集団としてのこうした大衆の反逆は、今、国家主義傾向に舵を切っているように感じられる現代の民主主義にも大きな問題を投げかけているように思う。民主主義は、本来過去の負の遺産から学び、戦争を二度と起こさないために作られた形態である。しかし、民主主義は多数決である。「みんなのことは、みんなで決める」その多数決の波がどこに流れていくかは、その個と国に懸かっている。


真の和をもたらす「トゥギャザー」とは何なのか。「ホームステイ」できない「トゥギャザー」は、多くの難民を生み出している。ホームステイしながらSNSやインターネットを通じて今の世界情勢の動向がすぐに情報入手できる快適な生活環境にある日本にあって、コロナ禍はこれからのトゥギャザーの在り方を問いかける恵みの機会を与えているように思う。


今日のみことば:「あなたが与えてくださった人を一人も失いませんでした」というイエスの言葉が実現するためであった」(ヨハネ18・9)


 




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