top of page

「今日のワン」(61)

 2022年4月14日「今日のワン」メッセージ


       「宿題」

宿題は学生時代で終わりかと思っていたが、そうではなかった。小学生の頃の自分は、動物で例えて言うなら、「サル」。とにかく落ち着きがなかった。授業中、机に向かって椅子に座るまで時間がかかった。小学校6年生の卒業をまじかに控えていたあるホームルームの時間に、担任の先生から卒業する生徒た

ち一人ひとりに「贈る言葉」を書いた色紙が渡された思い出がある。名前が呼ばれ、一人ひとり先生の前に行き、その

色紙が手渡された。サルに手渡されたその色紙には、大きく「集中」の文字2つ。サルの頭の中は、ハンマーで打たれたゴムボールのように「ガビ~ン!」。今でも忘れられない先生からの贈る言葉。その言葉を受け取ってからか、中学生になったサルは少しずつ落ち

着きを取り戻し、人の子へと進化していった。小神学校へ入るため、聞き慣れない「受験」という何か緊張感漂う戦も、初めての挫折を味わいながらも自分なりに勉強に励み、中高は一貫なので、高校受験はそれほど受験という印象は残っていないが、大学受験の勉強は使い切った赤ペンは数えきれないほど打ち込んだ。最近知ったが、東大出のある人が「青ペン必勝法」という合格受験勉強法を本にしている。青色は人間の暗記力を高める働きがあるとのこと。それはさておき、大学受験の時が一番勉強したように思う。一次試験は学科、二次試験は小論文と面接。印象に残っているのは、3人の面接官を前にして、まるで取調室で尋問を受けるピリピリとした雰囲気の中で受けた面接。緊張感のあまりチビりそうだった。その今にもチビりそうなサルから進化を成し遂げた私に、一人の面接官が言った。「内野さん、一次試験の学科を受けてみてどうでしたか?」。「自分なりにベストは尽くしました」。すると、その面接官は隣にあった何か一枚のプリントに目をやり、少し首をかしげた。そのしぐさを見逃さなかった私のチビりは最高潮に達する寸前まで来たところで面接は終わり、面接会場を後にした。他に何を質問されたかは何も覚えていない。私の前に面接を受けた一人の受験生は泣きながら面接会場から出て来たのを見ていただけに、早くあの重苦しい空気から解放されたかった。帰りにイグナチオ教会に立ち寄り、さっきまでいた世界とは一転してあたたかな静けさに包まれた聖堂の中で、一人祈りを捧げた。どっちに転んでも悔いなしという思いはあった。


学生時代は終わり、勉学も終わりかと思っていたがそうでもない。人生の宿題なるものが

残っていた。生活の宿題なるものは多くの人が求め解決していくものだが、人生の宿題なるものには終わりがない。そのことを、先日NHKで放送されていた「遠藤周作の『深い河』をたどる」という番組を見て、改めて思わされた。遠藤周作自身、親を通して着せられた「キリスト教」(洋服)を、自分の背丈に見合った「和服」として身に着けていく為に、それを自らの人生の宿題として問い続けた一人だった。イエスさまと自分との出会いに何の(関係)意味があるのかを、自分の人生に突き付けられた宿題として問い続け生涯を終えていった遠藤周作の集大成となった遺作「深い河」。その遠藤周作の著作に込められたメッセージをこれまで研究してきた一人はこう問いかける。「現代の人々は生活の次元では豊かになったが、人生の次元では貧しくなっているのではないか」と。


今日のみことば:「イエスは答えて、『わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる』と言われた。ペトロが、『わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、『もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる』と答えられた。」(ヨハネ13・7-8)
















Comments


大笠利教会 奄美市 笠利町 笠利 Tel: 0997-63-8108

© 2022 カトリック大笠利教会 Catholic Okasari Church 

bottom of page