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「今日のワン」(59)

 2022年4月12日「今日のワン」メッセージ


 「イエスが愛しておられた一人の弟子」

ある父親に5人の子どもがいました。しかし、しばらくしてその父親は亡くなりました。父親の葬儀を済ませた後、5人の子どもたちは夕食を共にし、父親との思い出をそれぞれに語り始めました。最初に、長男が思い出を語り出し、最後にこう言いました。「親父から一番愛されていたのは自分だと思う」。すると、他の4人も父親との思い出話の最後に「自分が親父から一番愛されていた」と、そう言ったのです。5人共が、それぞれに自分が一番父親から愛されていたと感じていたのです。親は、5人の子どもをそれぞれに愛していたのでしょう。そして、子どもは子どもで、それぞれに「自分が一番、親から愛されていた」と感じているなら、幸せなことだと思います。


ヨハネ福音書には、「イエスが愛しておられた一人の弟子」という表現で記された弟子がいたことを伝えています。その弟子はヨハネのことだと言われています。イエスさまは、12人の弟子たちの中でヨハネだけを特別に愛されていたのでしょうか。そうではなく、福音書の著者であるヨハネは、ただ「自分が一番イエスさまから愛された」と、そう証しを記しただけのことではないでしょうか。人と比べることなく、「自分はイエスさまから愛されている」と感じていればいいのだと思います。ペトロもヤコブもアンデレも、それぞれに「イエスさまが愛しておられた一人の弟子」です。そのイエスさまの愛から外れている者は一人も

いません。イエスを裏切るユダも愛されている弟子の一人です。裏切った後も「自分はイエスさまから愛されている」と信じられるでしょうか。信じられるなら幸せなことです。ユダの裏切りを予告する際、イエスさまがなぜ、心を騒がせたのか、その思いを味わいたい者です。裏切りは、何か特別な出来事ではありません。裏切りは私たちの生活において日常茶飯事です。その日常の中でイエスさまは関わり続けているのです。そのことに気づかないで、裏切りを特別の事として捉えているうちは、イエスさまの愛から離れてしまいます。


今日のみことば:「そのとき、イエスは弟子たちとともに食事の席についておられたが、心を騒がせ、断言された。『はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている』。」(ヨハネ13・21)






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