2022年4月6日「今日のワン」メッセージ
「種蒔く人」

事実と真実は必ずしも一致しない。
一つの情報を伝えるにしても、メディア
によってその伝え方は様々だ。例えば、同じ目にした一匹の象の絵を描くにしても、黒い象を描く者もいれば、夕日に染まった赤い象を描く者もいる。前から、上から、後ろから、一つの事実の伝え方は様々だ。日本のメディアは、欧米よりの情報である。日本で暮らす外国人は、そのことをすぐさまキャッチし、「日本のメディアもプロパガンダだね」と口にする。特に隣国のアジア人はそうだ。それもそのはず、欧米のメディアが流した情報を記事にして流しているに過ぎない。物書きの側に立てば、それはよく分かる。そこには主義や思想がある。
フェイクニュースを見抜くコツには3つあるとよく言われる。➀情報元はどこからのものか。発信元を調べること。出所。➁他のメディアはどのように伝えているのか、調べること。➂文章をどのように表現しているのか、着目すること。落ち着き所。
つまり、「どこから来て、どこへ行くのか」、この3つの見極めが真実を明らかにする。
このことは、イエスさまが教えてくれている。イエスさまは「自分についてする証しは真実である」と言われた。「自分はどこから来て、どこへ行くのか、私は知っているからだ」と。そのことを人々に証ししても、受け入れられなかった。イエスさまも、プロパガンダで殺された一人だと言える。
そもそも「プロパガンダ」は、カトリック布教の宣伝として使われていた用語。「種蒔き」「広める」という意味のラテン語から来ている。バチカンの組織に「福音宣教省」があるが、その前身である「布教聖省」の名称が、「プロパガンダ・フィデイ」という。
しかし、いつしか政治宣伝の情報操作にお株を奪われ、悪用化されて否定的な意味で使われるようになった。罪の奴隷化となった負のプロパガンダを本来の姿へと取り戻さなければ、平和は来ない。知らないということは怖いことでもある。気づかぬうちにプロパガンダに操られた民衆の一人になっている。「知る」ことは、平和への一歩。「知」は人々の上に「恵み」となって「知恵」となる。イエスさまが蒔かれたみ言葉は、プロパガンダの見抜き方を教え、真理を伝えてくれる。
今日のみことば:「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8・31-32)
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