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「今日のワン」(43)

2022年3月27日「今日のワン」メッセージ


      「ホーム」


聖書を開くと、その始まりは「ハウス」を創る物語から始まる。そして、神様は自分のもとにアダムとエバを住まわせた。神と人とが共に暮らす家は「ホーム」になり、

その家は楽園だった。しかし、人は「ホーム」から離れてしまった。そして、聖書の結びとなる「黙示録」には、「新しいエルサレムの祝宴」が描かれ、新たな「ホーム」への神様の招きが描かれている。

聖書全体の構成は、「ホーム」から「ホーム」へという枠組みになっていることがわかる。その枠組みの中で、「出エジプト」の出来事や「バビロン捕囚」の出来事、「聖家族のエジプトへの逃避行」の出来事など、「ホーム」から「ホーム」への帰還という神様の救いの歴史の物語があちらこちらに散りばめらている。中でも、「放蕩息子のたとえ」は、聖書全体の縮図と言っていい。「行ってきます」と出かけたら、ちゃんと「ただいま」と言って帰ってくるように。親は心配しながら、いつも帰りを待ちわびている。ただ待ちわびているわけではなく、居ても立ってもおられず、もう一人の自分の愛する息子、イエスさまを捜しに行くようにと送ってくれた。あの兄息子の本当の姿は、イエスさまのような気がする。そう思うと、どれほどイエスさまがファリサイ派や律法学者たちを愛しておられたかが伝わって来る。神の国の祝宴が準備された「ホーム」の扉はいつも開かれている。


今年であの出来事から11年が経つ今もなお、福島には「帰宅困難区域」がある。そして、自国から避難してきたウクライナとロシアの人々がいる。「ある人に二人の息子がいた」その日常がどれほど幸せなことか。早く「ホーム」に戻れる日を祈る。


今日のみことば:「ある人に二人の息子がいた」(ルカ15・11)



















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