2022年3月5日「今日のワン」メッセージ
「門を通らないで済む人でもなかった」

「門」がつく熟語はたくさんある。
「入門」、「専門」、「水門」、「校門」、
「黄門」、「肛門」、、、ちょっと最後の
シメが悪かったかな。
タイトルにあるこの言葉は、夏目漱石の「門」
に登場する宗助の心を表した一節。というより
著者である漱石自身を表しているのだろう。
「彼は門を通る人ではなかった。
また門を通らないで済む人でもなかった」。
この言葉にうなづき合うものを憶えて、心に響く。
刹那的な快楽に明け暮れて、それでも心の渇きを
覚えて、宗教に助けを求め仏門をたたく宗助。
しかし、仏門の前で佇みながら一日一日と時間だけ
が空しく過ぎていく。門の内から「自分で開けて入れ」という言葉が聞こえても、自力で入るのはそれこそ至難の業。来てはみたものの、また来た道を引き返しては、また戻り、門の前で佇む宗助。そういう時を必要とし、命と自分との間で苦悶することが誰にもあります。それを「愚か者」と片付けられたら生きてはいけません。闘わずに自分を通過して生きているよりも、本来の命の喜びと出会うでしょう。放蕩息子の兄も、「門を通らないで済む人でもない」一人です。「お助けください」、この一言で立派な信仰告白です。
今日のみことば:「飢えている人に心を配るなら、あなたの光は闇の中に輝き出る」
(イザヤ58・10)
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